吉田俊政


よしだ としまさ

?〜1582(生年不詳〜天正十)年


孫助。

吉田伊賀介重康の息子。兄に左馬允、孝俊がいる。

子に政重と正義がいる。

長宗我部氏に仕える。


永禄年間、峯寺*2で十七日参籠をしている。

その際安芸勢が岡豊を攻め、俊政は武具もつけず現場に急行している。到着した時点で勝敗は決していたものの、落ち行く武者を討ち取った。

1582(天正十)年八月の中富川の戦いでは、兄の孝俊とともに出陣している。

兄と共に敵勢を蹴散らしていたが、渡辺亀太夫と名乗りをあげた武者と戦い討たれた*3


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


おそらく1563〜1564年の間か。『土佐物語』において「峯寺観音縁起付り国虎・元親和談の事」として収録されている。もし1563年中の出来事であり、話中にあるように俊政の年齢が16、7歳であるならば、生まれは1546年頃と推察できる。


*2

禅師峰寺(南国市十市)と同一の場所と思われる。

後に山内家歴代藩主から篤い信仰を受けており、四国八十八箇所32番として、現在に至るまで伝わっている。


*3

渡辺亀太夫も八ヶ所に深手を負ったとされる。『土佐物語』


参考文献:『土佐物語』『土佐名家系譜』