吉田重俊


よしだ しげとし
生没年不詳


備後守。大備後とも*2

吉田則弘の次男。兄に吉田孝頼(周孝)がいる。

子に伊賀介重康、江村親家、女(桑名丹後室)。

長宗我部国親、元親に仕える。


天文年間(1532〜1555年)、長岡郡大津城攻撃では先手の将として奮戦、功をたてた。

のち、永禄初年に香美郡上夜須城主となる*3

1560(永禄三)年の本山氏との戦い、1563(永禄六)年の安芸国虎による岡豊城攻撃にあたり、元親を救援。その後1569(永禄十二)年の安芸国虎討伐戦においては、安芸氏の武将を誘い内部崩壊に成功。安芸氏が滅ぶ要因をつくったとされる。

ほか、元親の土佐統一戦・四国制覇に向けての戦の数々においても軍功をたてた。


『土佐人物史談』によれば、重俊は安芸国虎家臣・黒岩越前と遠縁だったという。


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『長曽我部家臣団辞典』によると、1498〜1670年とされる。


*2

息子の江村親家も備後守を称したため、区別されて大備後ともいわれた。


*3

上夜須城・・・馬ノ上城の西方にあたる城。大蔵が城をメインに、二丈松・釣鐘が森・尼が森の三つの城を構えていた。『土佐物語』


参考文献:『土佐物語』『長宗我部元親のすべて』『戦国人名事典コンパクト版』『長宗我部家臣団辞典』